宮大工――「神社・仏閣などの建築を専門にする大工」(『大辞林』三省堂)。まさに大工界の匠である。
編集部の中の人である筆者の父方の高祖父(ひいひいじいさん)は宮大工だった、らしい。「らしい」というぐらいの伝聞レベルであり、筆者自身は宮大工の技は当然見たことがない。かなり身近な存在になりえた筆者でさえ、ほぼ伝説の妖精のような扱いなのだから、一般の人にはさぞかし遠い存在なのではないだろうか。
それであれば心配になるのは、建設業界でさえ人材不足だと言われる昨今、宮大工界はどうなっているのか、ということ。どんな仕事なのか分からなければ、若い人も入ってこないのでは? それで「匠の技」は持続可能なのか? 入ってきたとしても、「技は見て盗め」「〇〇するまで10年はかかる」的な技術継承の方法では持たないのでは――?
疑問が山積みだが、令和のいま、SNSで積極的に情報発信している宮大工集団がいる。彼らに人材採用&育成術を尋ねるべく、京都へ飛んだ。
JR京都駅から市営地下鉄烏丸線・国際会館駅まで20分。国立京都国際会館を横目に見つつ、さらにバスに揺られて15分。「ここから先は別料金になります」とアナウンスが流れるギリギリ手前の市原停留所で降りて、さらにそこから30分ほど山道を登ったところに、匠弘堂の工房はある。「しょうこうどう」と読む。
インタビューに答えてくれたのは匠弘堂創業社長・横川総一郎氏と二代目棟梁・有馬 茂氏だ。
実はこのおふたり、サラリーマン出身である。
横川氏はF1のエンジン設計に憧れて大学で機械工学を学び、家電メーカーに入るもサラリーマン生活になじめず退職、「同じ設計やから、何とかなるやろ」と建築設計事務所に籍を移す。コンクリート打ち放し建築全盛期、下っ端だからとまわってきた社寺建築の仕事に魅了され、独立。「斗組のように同じような部材を何十個何百個とつくって、それを組み上げる。建築の中でも社寺建築ってメカニカルだなと」と嬉しそうに話す。
一方、有馬氏は化学専攻……だったがどちらかと言うと、「自分の手を動かして、10年やったら10年分、20年やったら20年分の技術が身に付くようなやりがいのある仕事がしたかった」という御仁。新卒で就いた現場管理の仕事ではそれが叶わないと知り、「クビと言われるまでがんばろう」と未知なる宮大工の世界に身を投じた。20年間の修行を経て、2代目棟梁として匠弘堂の職人集団を率いるたしかな腕を持っている。
独立以来、横川氏は設計・事務仕事を、有馬氏は宮大工職人としての現場仕事を完全に分離させて、それぞれが責任を持ってツートップ体制でまわしてきた。この体制は18年目に見事に花開き、経営は順調だとか。
この4月には公益財団法人京都高度技術研究所が認定する第4回「これからの1000年を紡ぐ企業認定」に選ばれた。「売り手よし、買い手よし、世間よし、未来よし」の“四方よし”の精神で頑張る企業が認定されるものだ。